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大阪地方裁判所 平成元年(行ウ)75号 判決 1992年12月14日

原告

斉喜幸子

右訴訟代理人弁護士

岡崎守延

被告

泉大津労働基準監督署長嘉本茂美

右指定代理人

源孝治

久木田利光

岸上温幸

山田勇

岩見武

宮林利正

大森康弘

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  被告が、原告に対し、昭和五六年五月一四日付けでした、労働者災害補償保険法(以下、労災保険法という。)に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しないとの処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

第二事実及び争点

一  前提となる事実(証拠番号を摘示しない事実は当事者間に争いがない。)

1  亡斉喜治助の死亡

原告の夫亡斉喜治助(昭和一七年八月一〇日生~以下亡治助という。)は、横山運輸有限会社(以下、横山運輸という。)にトラック運転手として雇用され勤務中であった昭和五五年九月二九日午前七時三〇分ころ、荷物を運搬して双福鋼器株式会社(以下、双福鋼器という。)に到着し、積み荷を下ろす作業を行っていた午前八時四〇分ころその場に倒れ、応急処置の甲斐なく午後八時五〇分ころ急性心不全で死亡した。

2  提訴に至る経過

原告は、被告に対し、亡治助の死亡が業務上の事由によるものであるとして、労災保険法に基づく保険給付(遺族補償給付及び葬祭料)を請求した。被告は、これに対し、昭和五六年五月一四日付けで不支給処分(以下、本件処分という。)をした。原告は、これを不服として大阪労働者災害補償保険審査官に対し、審査請求をし、棄却決定を受けたので、さらに労働保険審査会に対し、再審査請求をしたが、これも棄却となり、平成元年九月一六日、採(ママ)決書謄本が送達された。

3  亡治助の勤務状況

亡治助は、昭和五三年四月横山運輸(横山運輸は、平和鋼板株式会社から切板、コイル等の運送を請負っている会社である。)に雇用され、同社平和鋼板内営業所においてトラック運転手として就労していた(<証拠略>)。

亡治助の具体的業務内容と勤務実態は、次のとおりである。

(1) 業務内容

亡治助の主たる業務は、一〇トン積みトラックを運転し、得意先に切板等を運搬することである。運送先で荷物を下ろすと空荷の状態で帰社する。付随的業務として荷積み・荷下しの際に「ガチャ」と呼ばれる荷締め器を用いてロープで積み荷を固定・開放する作業及びシートを掛けたり外したりする作業を行っていた(荷積み・荷下し自体の作業は専ら平和鋼板及び運送先の社員が行っていた。<証拠略>)。

(2) 勤務実態

<1> 勤務時間

横山運輸における所定勤務時間は、午前八時から午後五時までであった(<証拠略>)。しかし、亡治助は、早朝だと道路事情がよく走行し易いこと及び後記過積載に対する警察の取締まりを避ける目的で、午前六時前には会社に出勤し、午前六時から七時ころまでには運送業務に就き、一日二ないし三往復走行し、概ね午後五時ころには勤務を終了し、午後五時三〇分ころまでには帰宅していた(<証拠略>)。

<2> 運送地域

横山運輸においては、亡治助以外の運転手は、大阪市及びその周辺部への運送(これは「市内回り」と呼ばれていた。)と長距離運送の両方を担当していた(<証拠略>)。しかし、亡治助は、後記のとおり心臓疾患があったので、入社に際し、長距離運送業務を担当しないことを希望し、会社の承認を得て、「市内回り」のみを行っていた(<証拠略>)。

<3> 昭和五五年六月九日以降の勤務実態(<証拠略>)

亡治助の昭和五五年六月から死亡時までの出勤状況と走行距離及び死亡前一週間・一ケ月・二ケ月・三ケ月各単位で一日当たりの平均走行距離数を計算した結果は、別紙「亡斉喜治助に係る死亡前の走行距離一覧表」(略)記載である。

<4> 昭和五五年六月から同年九月までの過積載の実態(<証拠略>)

月別 運送回数 三〇トン超 二〇トン超 一〇トン超 法定内

六月 四一回 六回 八回 二二回 三回・不明二回

七月 五六回 三回 一六回 二九回 七回・不明一回

八月 四三回 六回 一三回 一八回 六回

九月 四五回 六回 六回 二一回 九回・不明三回

<5> 昭和五五年九月二二日からの勤務実態(<証拠略>)

Ⅰ 九月二二日(月曜日)

運送回数 二回

運送距離 合計一一七km

積載量 二〇六四五kg・一三四九〇kg

Ⅱ 同月二三日(火曜日) 午後は業務がないため半日休暇をとり帰宅

運送回数 一回

運送距離 五六km

積載量 二七五五三kg

Ⅲ 同月二四日(水曜日)

運送回数 二回

運送距離 合計一二七km

積載量 二六八三四kg・一〇三七六kg

Ⅳ 同月二五日(木曜日)

運送回数 三回

運送距離 合計一四三km

積載量 一六三二八kg・一五四一八kg・三四三九六kg

Ⅴ 同月二六日(金曜日)

運送回数 三回

運送距離 合計一一三km

積載量 二〇七九六kg・一五八六〇kg・二四〇七六kg

Ⅵ 同月二七日(土曜日)

運送回数 二回

運送距離 合計四八km

積載量 一七四〇〇kg・一一三四六kg

Ⅶ 同月二八日(日曜日)

休日であり、子供の通学している小学校の運動会に応援に行く(ただし、競技に参加はしていない。)。

<6> 死亡当日の勤務実態(<証拠略>)

Ⅰ 午前六時前

普通どおりの様子で自宅から出勤

Ⅱ 午前六時三〇分ころ

前日に積載されていた切板コイル三二九五八kgを運搬するため、一〇トントラックを運転して平和鋼板を出発し、双福鋼器に向かう。

Ⅲ 午前七時三〇分ころ

二〇km走行して、双福鋼器に到着。同社の従業員に午前八時三〇分が作業開始であるから、待機するよう告げられる。荷下しの準備としてトラックのシートカバーを取り外す(所用時間一〇ないし一五分)。

Ⅳ 午前八時三〇分ころまで

トラック内部の清掃や灰皿の洗浄を行い、その後、運転席内で休憩する。

Ⅴ 午前八時三五分ころ

双福鋼器の従業員の誘導でトラックを荷下しの定位置へ移動する。

Ⅵ 午前八時四〇分ころ

双福の従業員が、トラックの荷台上で作業している亡治助を確認する。

Ⅶ 午前八時五〇分ころ

双福の従業員が、トラックの荷台上へ昇り、荷台の床に頭をつけうずくまる様に倒れている亡治助を発見する。この時荷台のコイル板を締めていたワイヤははずされていなかった。

4  亡治助の基礎疾病

(1) 受診歴(<証拠略>)

<1> 昭和五一年一二(ママ) 一四日 岩田嘉彦医師に受診

不整脈が顕著であるとして大阪労災病院での受診を勧められる。

<2> 同年一二月二一日 大阪労災病院で受診

諸検査の結果、同病院の山田医師により冠動脈硬化症(心筋症の疑いを残す)と診断され、翌五二年一月一三日、同医師の判断で検査・加療のため入院することになる。

<2> 同五二年一月二一日から同年二月一六日まで同病院入院

入院時点での主訴は「頻脈・運動時呼吸困難」であり、現病歴として「以前から一日二ないし三合の飲酒をしていたが、一年前から五合位飲むと翌日仕事中に頻脈・呼吸困難が起こるようになった。以後も飲み過ぎ・食べ過ぎ等の後には少し動くと同様の発作がある。最近になり、発作が増強気味であり、五一年一一月中旬にはテレビを見ていても発作があった。」とされている。

主治医である同病院の棚橋医師は、同病院での諸検査及び五二年三月四日国立療養所近畿中央病院循環器科で行われた検査を総合して、同年三月一〇日には、亡治助を肥大型心筋症(非閉塞性タイプ)と診断した。

<3> 同五三年二月一四日まで大阪労災病院に通院

診療録に見られる特徴的記載を挙げると、五二年一〇月一八日欄「全身だるくものも言えなくなった。高石病院に救急受診。脈が殆どなかった。」、同年一一月一〇日欄「右側胸痛あり。呼吸困難もある。」、同五三年一月一七日欄「五二年一二月三一日発作あり」等がある。

棚橋医師は、同五三年一月一七日の時点における亡治助の心疾患を、「厚生年金保険診断書」の活動能力の程度欄の区別によると「家庭内の普通の活動では何でもないが、それ以上の活動では心不全症状又は狭心症症状がおこる。」程度にあり、その時点での労働能力は「軽労働が可能」な程度であり、予後は「急死の恐れ」があると判断していた。

<4> 同五三年一月三一日から五月二三日まで国立循環器センターに通院大阪労災病院と同様非閉塞性肥大型心筋症との診断を受け、継続的に投薬治療を受けている。この間でも三月二日に発作があったことが報告されている。

<5> 同五四年二月一三日 今西病院で受診

全身倦怠・運動時呼吸困難の主訴で受診し、心電図により絶対不整脈があったと報告されている。

(2) 亡治助の健康状態(<証拠略>)

<1> 亡治助は、原告と婚姻した昭和四四年から同五三年までは専ら整備工として稼働していた。しかし、前記受診経過のとおり心臓発作が起こるようになり、前記診断の結果、棚橋医師から「普通に仕事をする分には構わないが、余り無理はしないように」との指示を受け、整備の仕事は身体に負担がかかると判断して、自動車運転業に転職するため横山運輸に入社した。入社後には、前記今西病院で受診したときを除いて心臓発作の事実はなかった。

<2> 亡治助は、横山運輸に勤務中は、毎夜ビール一本・酒一合半くらいを飲み、煙草は一日二〇本弱を吸っていた。午後八時ころには、寝床につき、睡眠は十分とっていた。休日は、子供を自家用車に乗せて遊びに連れて行く等、家にじっとしていることはなかった。

二  争点

亡治助の死亡は業務上のものか。

(原告の主張)

1 基礎疾病と業務との関係

亡治助には基礎疾病として肥大型心筋症があった。

本件に関わった棚橋医師及び沢田医師のいずれもが、同症の疾患を有する患者にとって、力仕事等の重労働が不整脈を誘発し突然死(急性心不全)を起こすことを承認している。

2 業務の過重性

(1) 過積載走行

亡治助は、死亡当日、一〇トン車に実に三二九五八kgもの鋼材を乗せて走行している。このような場合、車のブレーキによる制動効果は極端に減殺され、運転者にかかる精神的負担は想像を絶するものとなる。殊に、亡治助は、「市内回り」を担当していたため、交差点、横道が多く、また道路も狭いためこの精神的負担は倍加する。

このような過積載状態での運転がもたらす肉体的・精神的負担が高血圧状態を惹起し、その結果不整脈が出現し易い状況となり、更にその状態で走行を続けたことから不整脈が発生し、急性心不全となったものである。

被告は、過積載走行も何回も行うことにより慣れが生じると主張するが、全く非科学的な独断であり、これにより精神的・肉体的疲労が蓄積されることはあってもその程度が緩和されることはない。

(2) 労働時間

亡治助は、通常午前六時から午後五時まで勤務しており、拘束時間は一一時間にのぼる。このような長時間労働を行っていたことも、精神的・肉体的疲労が積み重なる一因となった。

3 雇用主の健康管理義務違反

横山運輸は、会社における法定の義務であり、かつ、亡治助が入社の時点で心臓疾患のあることを告げ「市内回り」のみを行うことを希望していたから同人の身体状況を十分認識できる立場にあったにもかかわらず、健康診断を全く実施しなかった。そのため、亡治助の心臓疾患の程度を把握することなく、同人に本件のような常軌を逸した過積載を強いて同疾患を増悪させ死に至らしめた。このような雇用主の義務違反行為も、業務起因性を判断するにつき考慮すべき事項と考える。

(被告の主張)

1 原告の主張1に対して

亡治助は、昭和五一年に入ってからは、肥大型心筋症に起因する不整脈による症状が増悪して、急性心不全による突然死の可能性は常に存在していた。殊に、最後に国立循環器センターで受診した昭和五三年五月下旬以降は、不整脈治療剤の服用も行っていなかったこともあって肥大型心筋症が自然的経過により増悪して重篤な状態となり、不整脈により突然死したものと考えるのが自然であり、業務とは無関係である。

2 原告の主張2に対して

(1) 原告は過積載による精神的・肉体的負担を強調するが、過積載が運転手に対し与えるそれらの負担が通常の場合と隔絶したものとは到底考えられない。しかも、亡治助は、専ら大阪市内及びその周辺という近距離の運送を担当し、通常片道のみ荷を積んでいたから、死亡前一週間の一日当たりの平均走行距離が一〇〇・六kmであることからすると、仮に過積載であったとしてもその走行距離は一日当たり約五〇kmに過ぎないのである。

(2) さらに、亡治助がイ トラック運転に相当習熟していたと考えてよいこと、ロ 他の運転手と異なり「市内回り」のみを担当し、走行距離も比較的短いこと、ハ 死亡前一週間の平均走行距離が特に長距離とはいえないこと、ニ 昭和五五年九月中に全休日を五日、半休を二回とり、死亡前日も休日であったこと、ホ 死亡直前も運転席内で休憩していたこと等の事情に照らすと、同人の業務が特に過重だったとはいえない。

3 原告の主張3に対して

使用者に健康管理義務があったか否かはそもそも業務起因性を判断する際の要件ではない。

第三争点に対する判断

一  亡治助の死因

(証拠略)によると、亡治助の死因は、肥大型心筋症に起因する重篤な不整脈により心不全となり突然死亡したものと認められる。

二  ところで、労働者が業務上死亡したというためには、まず、業務と死亡の原因となった疾病との間に条件関係があることが必要である。すなわち、本件においては、亡治助に肥大型心筋症の基礎疾病があったことを前提として、業務に従事していなかったなら、重篤な不整脈は発生しなかったであろうと認められることが必要となる。以下この観点から判断する。

1(1)  肥大型心筋症について

(証拠略)によると、肥大型心筋症は、心筋が肥大し、心室壁が異常に肥厚する原因不明の疾患であり、症状が全く自覚できないものが多く、これが出現する場合には不整脈に起因するものが殆どあること、そのため無症状にて経過し、重篤な不整脈により突然死することもあること、根本的に治療する方法はなく、致命的となる不整脈に対する薬物療法が主体となること、不整脈は、心収筋力の増加を来すような状態、すなわち、走る・重い物を持つ等心拍数の増加・血圧上昇を来す状態に身を置くことにより発生し易くなることが認められる。

(2)  亡治助の症状経過

前記第二の4(1)で認定した事実と原告本人の結果によると、亡治助の心疾患の程度は、昭和五一年末の時点では、家庭内でテレビを見ていても発作が起こるほどに至っていたこと、労災病院に入院して検査を受けた結果、同五二年三月には肥大型心筋症の診断を受け、その後一年程度継続的治療を受けたにも拘らず症状は改善せず、同五三年一月一七日の時点で、予後として突然死の恐れがあることを指摘されていたこと、同年五月までは国立循環器センターで受診していたが、仕事の都合等で同センターへの通院を止めて以後は、心疾患に対する治療は、発作を起こした際に今西病院で一回受診した以外は、行っていないことが認められる。

(3)  亡治助の心疾患の程度

(証拠略)(棚橋医師の回答書)によると、肥大型心筋症の疾患が亡治助の程度に至っている患者が投薬等の治療を受けなかった場合には、肥大型心筋症の症状が悪化することもさることながら、不整脈の出現を予防できなくなるため突然死の危険が増加する事の危険性が指摘されていることが認められ、これと(2)の事実を併せ考えると、亡治助が死亡した昭和五五年九月二九日の時点では、同人の心疾患は、いつ重篤な不整脈が生じることにより心不全に陥っても不思議でない状態にあったと推認してよい。

2  そこで、右で認定した亡治助の症状を前提に業務との間で条件関係が認められるか否かにつき検討する。

(1) 業務による蓄積疲労との関連

前記第二の3及び4(2)で認定した事実(亡治助は、担当医師からのアドバイスを受け労働負荷が心疾患に与える影響を考え、自らの意思で、横山運輸の運転手に転職し、「市内回り」のみを担当していたこと、死亡前三ケ月における一ケ月の実労働日数が二一日から二五日であり、労働日も午後五時ころには退社していたこと、平均走行距離は死亡前一ケ月で約八八km・死亡前同一週間で約一〇〇kmであり、しかもそのうち半分は空荷状態での走行であったこと)からすると、亡治助の日常業務が慢性的な疲労の蓄積をもたらす程度のものであったとは認められない。原告が主張する過積載走行による精神的・肉体的疲労についても、(証拠略・人証略)及び原告本人尋問の結果によると、過積載走行は、一般論として、運転手にブレーキの制動効果が悪くなる点で精神的緊張を強いること、亡治助も妻である原告に過積載運転の場合は急停車できないので緊張すると言っていたことは認められるが、前記第二の3(2)<4>で認定したとおり、過積載が常態化していたにもかかわらず、亡治助は、休日には子供を自家用車に乗せて遊びに行く等家にじっとしていることはなかったことに象徴されるようにその精神的・肉体的疲労が蓄積されていたとは考えられないこと、特に本件死亡の前日は休日であり亡治助は子供の運動会に応援に出掛けていたのであるから、死亡当日まで前週の疲労が残っていたとは認められない。

さらに、蓄積疲労が直接的に肥大型心筋症の患者に不整脈が発生させる原因となることを指摘する資料はない(もっとも<証拠略>には、沢田医師の「被災者(亡治助)が過積載トラック運送による疲労の蓄積があったことは、突然死の危険を大きくしたことは、この患者がもともと予後の悪い重症の心筋症であったことと考えあわせ充分考えられることである。」との見解が記載されている。しかし、これとて蓄積疲労が突然死の原因になったと述べているわけではない。)ことに照らすと、亡治助の日常業務と不整脈の発生との間に条件関係を認めることは困難である。

(2) 死亡当日の業務との関連

亡治助の当日の業務と死亡時の状況は、前記第二の3(2)<6>のとおりである。

原告は、直接死亡の原因となったのは、当日の過積載(三二九五八kg)走行であると主張する。

しかし、一般論として過積載走行が精神的緊張を高めることにより血圧の上昇をもたらし不整脈を発生させる恐れがあるとはいい得るとしても、亡治助は運転中に死亡したわけではなく、双福鋼器到着後一時間程度休憩して再び作業開始した後に発症しているのであるから、当日の過積載走行と不整脈発生との間に条件関係を認めるのもまた困難というほかない。

なお、(証拠略)には、沢田医師の「ガチャをはずす作業そのものがかなり力を要するものであることは、これが突然死の直接の引き金になったとも考えられる。」との見解が記載されているので、さらにこの点につき考える。

(証拠略)によると、亡治助は、ガチャと呼ばれる荷締め器を使う作業を開始し、これが終了する前(終了するとワイヤははずれた状態となる。)に発作を起こしたと推認できる。そこでこの作業が血圧上昇とか心拍数の増加をもたらす性質をもつものか否かにつき考えるに、これについては、「かなり力を使う仕事」であるとする証拠(<証拠略>)と「特に大きな力を入れるようなことはありません。」との証拠(<証拠略>)、さらに「少し力を入れる。」との証拠(<証拠略>)がありその程度を確定するのは困難である。しかし、仮に(<証拠略>)に従うとしても、その程度は、日常生活においてあり得る程度を超えて不整脈発生の危険を有する作業とは認められないから、亡治助が業務中であったことは単なる機会原因(すなわち、業務中でなくても発生したことが推認できる以上、業務中であったことは単なる機会以上の意味を持たない。)にすぎず、業務との間で因果関係を肯定することはできないというべきである。

(3) 右のとおりであるから、亡治助が業務に従事していなかったなら重篤な不整脈が発生しなかったであろうと認めることはできないというほかない。

三  次に、原告は、使用者に健康管理義務違反があることが業務起因性の判断につき考慮すべき事情であると主張する。

まず、本件で、使用者が健康診断を実施していたなら、亡治助が不整脈発生により死亡しなかったと認めるに足りる証拠はない。むしろ、亡治助は、健康診断を待つまでもなく、昭和五三年一月の時点で自己に重篤な心疾患があり突然死の恐れがあることまでも告げられており、それにもかかわらず受診を止めていたことからすると、会社が健康診断を実施していたとしても、亡治助の死亡は避けられなかった疑いが強い。

さらに、そもそも、使用者の義務違反が業務起因性の判断要素となるか否かにつき考えるに、業務起因性とは業務と当該疾病との間に因果関係があるか否かの判断であり、ここでいう業務とは「当該事業の運営にかかる業務であって、かつ当該労働者が従事するもの」をいうと解すべきであるから、使用者に健康管理義務違反があるか否かをこの意味の業務に含むことはできず、したがって原告の主張はそれ自体失当である。

四  以上によると、亡治助の死亡が業務上のものでないとした本件処分は、正当であり、原告の請求は理由がないから棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 蒲原範明 裁判官 野々上友之 裁判官 倉地康弘)

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